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2010年1月

2010年1月30日 (土)

荷風さんの戦後

半藤一利著。著者の「昭和史」研究に永井荷風の作品が良く出てくるので気になっていた一冊。http://www.jali.or.jp/hr/book/b082.html

とよ(大阪市都島区東野田町3)

申し分ない開放感な海鮮立ち飲み(雨天時、天幕あり)http://www.geocities.jp/kobestandingbar_3/DB_toyo.htmDsc00154

石清水八幡宮から伏見港、そして琵琶湖疎水へ

2009年12月26日(土)。京阪八幡市→京阪藤森。京街道を往く 第三弾!にして、最終回(のはず)。同好の士2名。http://www.geocities.jp/trampingonmtrokko_8/DB_20091226_2.htmDsc00073

2010年1月22日 (金)

ポリタンク

さて、岡山に身を寄せて何をしたか。1995年1月20日(金)のことである。神戸に水を持ち帰るべく、ホームセンターをハシゴして、ポリタンクを買い漁った。18ℓの赤いタンク(灯油を入れるヤツ)や折りたたみ式のウォータータンク(おそらくは20ℓ)をたくさん買い込んだ(岡山でもそれらは手に入りにくくなりつつあった)。ポリタンクに水道水を詰め、車に積めるだけを積んだ。その当時乗っていたリッターカーには8タンクほどしか積めなかったけど、それだけでも、それはそれは、ブレーキが効かなくなった。神戸の自宅は全壊こそしていなかったけど、水が出なかった。水が出ないと水洗トイレが使えない。水洗トイレを使うために岡山から150km駆けて持ち帰った水だった。自宅だけではなくご近所にも配ろうと思い持ち帰った水だった。2010年1月19日付神戸新聞の社説が次のようなことを紹介している。「窓が開いている間に 震災の1年前の1.17に起きたのが、米ロサンゼルス市のノースリッジ地震だ。その復興の報告書に印象的な文章がある。「災害直後のほんのわずかの間だけ、自らの弱点を垣間見せてくれる『窓』が開く。その間には通常の時期ならできないような試みを企てることが可能である」普段はご近所との付き合いなどそれほども無かったけど、この時はご近所にも配ろうと思って持ち帰った水だった。。。

清張さんと司馬さんと

半藤一利著。「昭和史」を学ぶべく、保阪正康や半藤一利を読むと、しきりと松本清張が出てくる。松本清張は読んだことがなく、ソレを知るべく、もがいていて出てきたのがこの一冊。あぁ、次は、松本清張に、遅まきながら、嵌るかな。。。http://www6.plala.or.jp/Djehuti/20011015.htm

2010年1月21日 (木)

大倉山界隈の蕎麦処

前掲前々掲に続いて「なか川」も忘れてはいけない。そば定食650円也は蕎麦が秀逸^^!Dsc00299

McArthur: General Douglas MacArthur & The Occupation That Changed Japan

Bert McBean著。これね、英語のリーディングとアメリカ人が見た昭和史を一度に学べるよ^^!http://www.amazon.co.jp/McArthur-General-Douglas-MacArthur-Occupation/dp/4887570937

昭和史 〈戦後篇〉 1945-1989

半藤一利著。半藤節をさらに楽しめる^^!http://www.amazon.co.jp/%E6%98%AD%E5%92%8C%E5%8F%B2-%E3%80%88%E6%88%A6%E5%BE%8C%E7%AF%87%E3%80%89-1945-1989-%E5%8D%8A%E8%97%A4-%E4%B8%80%E5%88%A9/dp/4582454348

明治中期の地図

明治18(1885)年の地図を見ると、我が家のある一角は神戸區多聞通となっている。湊川は湊岬(現東出町)に流れ出でていて、河口右岸には砲台があった。大倉山の標高が55.7mとなっているけど、昭和7(1932)年には54.2mとなっていて興味深い。(現在は42.7m)余談として、明治19(1886)年、宇治川河口右岸は明治天皇御用邸となった。

国際電話

阪神淡路大震災のことは、1995年1月17日(火)午前1時頃(現地時間)に知った。出張先のミラノのホテルにあるTV(NHKのニュース)を通じてであり、日本時間午前9時頃である。ほぼリアルタイムに知ることができた。しばらくはTVに釘付けだったが、ふと我に返り、自宅に電話を入れた。(しばらくは呆然としていて、自宅に電話をするということさえ思いつかなかった)幸いにして電話は一発で繋がり、自宅に来てくれていた近くに住む義母が電話口に出てくれた。家族や身内、住まいの安全が確認できたので、予定を変更せず18日(水)(ミラノ発)に帰ることを決めた。それからである。ポートアイランドにある勤務先に電話を入れたが繋がらない。阪神間に住む勤務先の上司や同僚に電話を入れるも繋がらない。ポートアイランドは沈んでしまった、という現地情報すら出てきた。大阪や東京にある勤務先の事業所や九州の取引先に電話を入れて、そのようなこと(ポートアイランドは沈んでしまった)はニュースになっていないことをようやくに確認した。ずいぶんとたくさんの国際電話を入れた。チェックアウトの際に2万円近い請求を受けたが、旅費の精算は満額OKだった。どさくさに紛れて^^!

2010年1月20日 (水)

昭和初期の地図

昭和7(1932)年や昭和12(1937)年の地図を見ると、我が家のある一角は湊東區橘通五丁目となっていて、その湊東區の區役所が現チサンホテルの地にあった。現地方裁判所の元町寄りに市役所があって、現ポーラビルの地に岡崎銀行(太陽神戸銀行の前身)があって、現神鉄ビルの地に音羽花壇(料亭)があって、現神大医学部の地に第二高女校があって、現県営大倉山住宅の辺りに親和女校があって、現神戸少年鑑別所の辺りに株式取引所があった。こういうのは見ていて飽きないね^^!

2010年1月19日 (火)

昭和史 1926-1945

半藤一利著。あとがきより、「編集者の山本明子さんの執拗な説得からはじまった。「学校でほとんど習わなかったので昭和史のシの字も知らない私たち世代のために、手ほどき的な授業をしていただけたら、たいそう日本の明日のためになると思うのですが」これに日本音声保存のスタッフ三人がたちまちに乗ってきた。どうせなら、録音してゆくゆくは誰にでも聞けるCDにしようというのである。」てことで、話し言葉である。昭和十五年を振り返って、「また、時局に合わない不真面目なことはいかん、という命令が出て、落語協会までが、あるまじきことながら「自粛」して、遊郭、妾、不義、好色など五十三の噺を演じないことにし、浅草本法寺に「はなし塚」をつくって葬ってしまいました。」などといった余談が入るなど、とてもとても読みやすい「昭和史」の教科書デス!http://www.amazon.co.jp/%E6%98%AD%E5%92%8C%E5%8F%B2-1926-1945-%E5%8D%8A%E8%97%A4-%E4%B8%80%E5%88%A9/dp/4582454305

楠町の「くすの樹」の日替り定食

ふぐ料理「くすの樹」の日替り定食850円也は、大振りなカキフライ(4粒)をメインとして、温泉玉子、出巻玉子とグレープフルーツ、ポテトサラダ、ひじき煮と4つの小鉢に、小うどん、漬物、ご飯お代わりOKがついて、大満足^^!Dsc00292_3 Dsc00289 Dsc00288

スープが冷めない距離に居た義父母

1995年1月17日(火)当時、義父母がすぐ傍に住んでいた。ミラノのホテルのTVでNHKのニュースを見て一大事を知り、自宅に掛けた電話(幸いにも一発で繋がった)には駆けつけていた義母が出てくれた。(当日の朝9時ごろ)その時の自宅は電気と電話は通じていたものの、水道とガスは止まっており、倒壊の恐れもあったので、その晩は義父母・嫁・娘とで、小学校の体育館に避難した。そして翌日、義父の運転で、嫁と娘は、義母の妹が住む加古川に身を寄せた。(義父母はすぐに自宅に戻った)19日(木)に帰宅した後に、すぐに加古川に向かうことができたのも、義父母が連絡係を務めてくれたからである。義父母とはその後もしばらくは助け合う生活が続いた。今、かつてのようなことが起きたら、そのような助け合いはできない。。。

再度山ドライブウェイ

1995年1月19日(木)、出張先のミラノから帰り着いた夕方、嫁と娘(1歳)が身を寄せていた加古川の義叔母のところに車で向かおうと思うも、R2はもちろんのこと、大開通りも上沢通りも有馬街道も大渋滞で、そんなところに緊急ではない車を走らせるわけにはいかず、思いついたのが再度山ドライブウェイ。山本通の入り口までは渋滞していたと思うけど、途中にがけ崩れは何箇所かあったと思うけど、スムーズに五辻まで行くことができた。そこから先、同じ神戸市とは思えないほど(表向きは)静かな鈴蘭台や藍那辺りを経て、明石・加古川と車を走らせた。鈴蘭台辺りの同じ神戸市とは思えない平静さは忘れられない。。。

2010年1月17日 (日)

ヘリコプター

今日はヘリコプターの音が良く聞こえてくる。ヘリコプターの音が聞こえてくると、なにかあったのか、と今でも心が騒ぎ出す。1995年1月19日(木)に関空から船で神戸に帰ってきた時の、海から見た神戸上空に飛ぶへリコプターの多さは、尋常ではなかったね。。。

2010年1月15日 (金)

平野市場にて台湾らーめん

さては、ひらいち(平野市場)の「肉饅の廣林店(平野ラーメン)」にてラーメンセット(台湾らーめんと炒飯)650円である。5席ほどのカウンター(ただし2席ほどは肉饅で占拠されている)で頂けま~す(店頭メニューは他にも多数)♪Dsc00278 Dsc00276 Dsc00277 Dsc00272 Dsc00279 Dsc00282 Dsc00273

神戸新聞の7日間

う~ん、私の7日間は、2日後の19日(木)午後にミラノからパリ経由で関空に降り立ち、今は無きK-CAT経由でメリケンパークに上陸後、ズタズタになった阪神高速をくぐって徒歩で(スーツケースを引きずりながら)帰宅した。帰宅後、その日の内に嫁と娘(1歳)が身を寄せていた加古川の義叔母のところへ再度山ドライブウェイ→鈴蘭台→西神経由で車で向かった。その日は加古川に泊まり、翌日(20日(金))はさらに岡山の私の実家へと身を寄せた。そしてその日は水を運ぶためのポリタンクやカセットボンベ等を買い込み、それらを、翌日(21日(土))に嫁と神戸の自宅へ持ち運び、折り返し、着替えなどを持ち帰った。勤務先に出社したのは23日(月)だったと思う。。。http://wwwz.fujitv.co.jp/kobe/index.html

2010年1月14日 (木)

転進 瀬島龍三の「遺言」

新井喜美夫著。う~ん、「不毛地帯」に出てくるエピソードの元ネタのような情報は楽しめるけど、歴史の真贋がわからないと読み誤りそう。(私はもちろん読み誤った!)http://www.amazon.co.jp/gp/product/4062148382?ie=UTF8&linkCode=as2&camp=247&creativeASIN=4062148382

祇園前の寄り添う「そば定食」

前回に続いて今回は「そば」。おかずがたっぷりなので、あと2つは俵が欲しいなぁ^^!Dsc00269

戦争観なき平和論

保阪正康著。あとがきより、「戦争という政策の選択を行なうには「資格」が必要である。」「「昭和という時代」が風化している。平成の年号が進むにつれて、その感が増してくる。(中略)一つは、高校の社会科で日本史は選択科目になっている事実を指摘しておきたい。(中略)もう一つは、十代、二十代、そして、三十代の人たちの中に、歴史を充分学んでいない者がいるために、真贋の見分けができなくなっていることだ。」2003年のあとがきなので、私も当時は三十代であり、高校では日本史を選択しなかった。そして日本の歴史を充分に学んでいなかった。「目から鱗が落ちる」であり痛快であり「昭和レトロ」などと軽々しく言えたものではない。あっ、最近は日本史が必修化してきているし、「昭和レトロ」という時の「昭和」は三十年代のことらしいけどね。(と、いいつつ、先の大戦のことを知らずに「昭和レトロ」を懐かしがりたくはない)http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4120034038/kaoru-22

2010年1月13日 (水)

神戸文学館と神戸文書館

神戸文学館ではゆる~い気分に浸れるし、神戸文書館では『INAKA』が読めるし、山麓散歩のススメ^^!Dsc00257 Dsc00263

2010年1月 9日 (土)

決定版 司馬史観がわかる本 明治史観編

北影雄幸著。それこそ著者の司馬遼太郎観に引きずられてはいけないのだけれど、読むと爽快になるんだよなぁ。。。http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4891726784.html

2010年1月 6日 (水)

海軍肉じゃが物語 ルーツ発掘者が語る海軍食文化史

高森直史著。前掲に引き続いて海軍食事事情を遡る。。。http://store.shopping.yahoo.co.jp/7andy/31670257.html

2010年1月 2日 (土)

豆腐の燻製

持ち寄り新年会用の、お手製お手軽酒肴 第2弾!厳密には豆腐の味噌漬けの燻製ナリ。Dsc00189 Dsc00190 Dsc00201

青ばた豆(ひたし豆)

持ち寄り新年会用の、お手製お手軽酒肴 第1弾!http://www.omn.ne.jp/~tokatiya/aobatamame.htmDsc00184

「道頓堀 今井」のうどん寄せ鍋

テラめし付いていたところへ元日の夜から鍋焼きうどんの極超特大登場^^!http://www.d-imai.com/index.htmlDsc00180

2010年1月 1日 (金)

「宝塚ホテル」のおせち

和洋折衷なもので、元旦から日本酒にワインに焼酎を^^!Dsc00165 Dsc00169

I wish you a Happy New Year

2010newyear

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